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どうでも良いが...
私がブラックミュージック狂いになった理由
私はどういう訳かブラックミュージック以外は一切聞かないという片寄り様です。しかしだからこそこういう仕事が出来るのですが。
まずは家庭環境が大きかったです。何故だか知りませんが歌謡曲を異常に嫌う家庭で、子供の時はクラシックだの外国の映画音楽だのしか聞けなくて、アニメの主題歌なら大丈夫でしたが、J-popというか当時はニューミュージックとか呼ばれていましたが、はやっていたベストテンを見ようなんてものなら大変でした。
ルパン3世の主題歌が好きで聞いていたら、歌謡曲なんて聞くなって怒られました(;oo;)
そんなでしたが、姉がいて姉が中学3年になり、はやりの歌謡曲を聞いていないと友達と話題が合わないという事で、しかし口では言いにくかったらしく親に手紙を書いた事で、親もそれならという事で、自分が小学校6年の時に歌謡曲が解禁されました。
ベストテンとかトップテンとかいつも姉と一緒に見てビデオに録画する程ハマりました。サザン(当時はクワタバンド)やオフコース、杉山清隆とか好きでした。
しかし、しかしです。その姉が半年もすると洋楽にハマり、ある時歌謡曲番組を見ていたら、「まだそんなの見ているの?。ダサっ」って言われたんです。小学6年で、姉が中3だったので、なんですかね、姉にダサいと言われると、ダサいのかああ。って真に受けてしまって。それ以降今まで邦楽は一切聞かないという感じになってしまいました。
もうひとつの理由としては、家でJ-popを聞く事はなかったのですが、高校生の時にカラオケが流行って、みんなが歌っている歌を覚えてJ-popをカラオケで歌ったりして友達と遊んでいたのですが。曲を書く様になって、英語で洋楽みたいなのを作りたくて、いざ作ったらカラオケで歌っていた歌の影響が出てJ-popっぽくなったのが気に入らなくて一切聞かなくなったんです。
J-popが悪いとか全然思いません。ボクサーが減量をするために食事に規制がある様に、ソングライターとして自分のアーティストとしてのスタイル上、規制をかけただけの話しです。
話しは戻りますが、例の姉の一言以外、音楽からは遠のいていて聞いたとすればロッキ−4の曲が好きで、今考えればJames Brownを聞いていた事になります。
しかし中3になった時くらいにまたしても姉の影響で洋楽を聞く様になりました。姉がロックとか好きだったのでロックを聞いて、エレキギターを買ってガンガンのロックバンドも組んだりしていたのですが、ロックのルーツを勉強するウチに黒人のブルースを聞きショックを受けたのが高校1年の時でした。
これだ。って思ってロックを辞めてブルースや'、ブルージーな60年代のサザンソウル、オーティス・レディングやレイ・チャールズなどですかね。ジェイムス・ブラウンも好きでした。モータウンはブルージーじゃなかったので当時はあまり好きじゃなかったのですが、4 topsが何故か好きでちょっとは聞いていました。だんだんブルースからSoulやFunkを聞く様になりました。
当時はギタリストで一日6時間も練習する様な気違いぶりで、クラシックギターやジャズギターなんかも勉強していました。なので歌はサイドワークだったのですが、Funkやサザンソウル、ブルースみたいにギターが全面に出ているものはともかく、Soulを色々聞くうちにギターよりやはり歌にしびれ、あれ程情熱を注いでいたいたギターよりも自分も歌いたいと思う様になりました。純粋に素晴らしい歌に感動したのです。黒人特有のあのソウルフルな心をえぐった様な歌です。しかし黒人の様に全然歌えない...。
そこでSoulシンガーが口をそろえていう、Soulのルーツであるゴスペルも聞く様になり。当時はゴスペルなんてCD屋になかったので(今でもあまりありませんが)必死に都内中のCD屋を歩き回って買いました。そしてCDに合わせ必死に歌の勉強をしました。
でも昔のソウルとかジャズとかしか聞かなかったです。何か当時のMCハマーとかニュージャックスウィングの様な派手派で衣装でナンパに踊りまくっている軽い感じの現行ブラックミュージックは好きでは無かったです。LLクール.JとかアイスTとか悪そうなHip hopは聞いてましたが。いや、当時は悪そうだったんですよおお、ハマーと違って。なんかカッコつけてたんですかね。ラブソングなんてチャンチャラおかしいって思っていて、ギャングスタラップとかの方が良かったですね。ハハ。
しかしジャズギターの勉強で買ったジョージ・ベンソンのベストアルバムが間違えてギタリスト時代で無くシンガー時代のもので、しかしそれを聞いて凄いって思いました。いわゆるコンテンポラリーなR&Bの歌い方で。ジョージ・ベンソンはあのホイットニーで有名なGratest Love of Allを歌った人です。メチャクチャ上手いです。こんな感じで歌いたいって心から思いギターを辞める程の衝撃でした。
そしてもうひとつの衝撃はクインシー・ジョーンズですかね。クインシーは世界で最も成功したプロデューサーであり、マイケル・ジャクソンをはじめ多くのシンガーを手がけてきた大物ですが、Listen upという曲のビデオクリップ見て、それが凄い、ゴスペルのワイナンスやAl. B Sure、キャリン・ホワイトやらメチャクチャ凄いシンガーのオンパレード。ビッグダティーケーンやアイスTのラップもフューチャーされていて、しかもHip Hopベースのカッコ良い曲。衝撃を受けました。これだって。実際Hip Hopソウルの草分け的な曲のひとつです。
クインシーみたいな全ての楽器を編曲出来るプロデューサーになりたいって思いました。シンガーや楽器だけでなく全てが出来る様になりたいって強く思い曲も書く様になりました。でもクインシーはあまりに凄くて挫折しました。
で、色々現行のR&BやHip Hopを聞く様になりました。
そんな時にまた姉なんですが、ブラックミュージックを色々あさっている姿を見て、友達からもらったという色々なアーティストの入っているテープをくれました。それにジェイムス・イングラムやらが入っていたのです。ジェイムス・イングラムをきいてこれだって思いました。これが歌なんだ。って。そしてらなんとクインシーの育てたシンガーだと知り、クインシー関連のシンガーを集めまくりました。
だんだん普通に聞いていましたね。Boyz II Menがちょうどデビューして、自分のアイドルは彼等だと言っていい程に本当に大ファンでした。ベビーフェイスはやはり好きだったし。ラブソングにハマりましたね。あの黒人特有のR&BのBの部分ブルースですよね。どうにもならない状況で、本音で聞き苦しい様な事を時に泣きじゃくる様に、時にパワフルにそしてセクシーに。ジョニー・ギルとかピーボ・ブライソンも好きだったし、私がはじめて愛した黒人女性、シャニース。いやあ、いやあ。
で、また曲を書こうと思って、書いたらJ-popっぽくって、それが自分で許せなくて例の規制をかけました。最初は歌よりもラップものを友達と作ってました。(遊びの次元ですが。)クインシーには挫折しましたが、アイスTとか、あとはテディー・ライリーとかみたいなのだったら自分も出来ると言っては失礼ですが。そんなの作ってました。
あとはTake 6。とにかくコーラスものが好きでしたので衝撃なんてものじゃなかったです。さっそくアカペラグループを作った程でした。まだ日本でアカペラグループなんて殆ど存在していなかった頃です。
それからはJodeciだのTLCだの、もう現行R&B、Hip hopを聞きまくりでした。特に'80年代から新しい音楽、Hip Hopソウルがちょうどまだ試作状況で出てきた変動の時代だったので面白かったです。Mary J.のデビュー当時です。
そんなこんなで自分は黒人音楽以外は聞かないという片寄った人間になりました。渡米してからは特に、黒人の店とかに出ていたので日本人だと舐められたくない。黒人からも認められたいリアルなアーティストになりたいと必死でした。日本人が黒人に認められるには彼等のルーツであるブルースだと思いブルースも修行しました。
最初の渡米では駄目駄目でしたが、とにかく色々作って、で、黒人のレーベルに認められる程になりプロになりました。24歳の時です。
しかし当時はピアノは弾けないし、感覚だけでやっていて音楽理論も全く知らない。色々勉強しまくりました。
その後ゴスペルにハマり米軍基地の黒人教会に通いで洗礼まで受けました。その後渡米した時に本格的にクワイヤやりました。ジャズも好きですね。でもやっぱりR&B、そしてHip Hop。新譜はとりあえずだいたいめぼしいのは全部買わなければ気が済まない。そしてやはりルーツの'50、'60、'70、'80年代のソウルやらファンクやらディスコやら、とにかく気違いの様に好きです。
付き合う女性も友達も黒人以外とか付き合わないとか、歌詞を書いたり、より黒人文化や言葉を理解するために映画も黒人映画しか見ないという変人ぶりな時期もありましたね。
ハッキリ言うとここまで来ると変人ですが、だからこそ専門に仕事が出来る。
ビサの問題や、この仕事が忙しくて、あと色々な訳あって今はアーティスト活動を中止していますが、いずれまたアメリカでやります。
しかしアメリカで音楽をやっていて、また生活していて一番強く思ったのは、世界に通用する日本人アーティストが出て来て欲しいというところですね。日本語の歌謡曲でヒットしたものもあり、それはそれで良い。しかしスキヤキ以外はやはりヒットしたワールドミュージックにすぎない。そうじゃなく向こうのポップチャートで、メチャクチャリアルな、日本の音楽っていうんじゃなしに、何も日本の事を知らないし興味も無い様な人達でも、世界中の人達が流行のポップミュージックとして本当の意味で楽しめる音楽。日本人を本当の意味で世界に言葉、そして心を伝えられる代弁者、ヒーローの出現です。
やはりそういうアーティストを育てたいというのも大きな夢であり、ライフワークですね。
スポーツや映画、アニメの成功、日本文化は今やカッコいいものとして定着してきました。自分が初めて渡米した時なんか、日本人イコール電気製品、車という認識しか無かったです。日本人自体に興味を持つ人は少なかったですし人種差別の対象にも度々なり嫌な思いもしました。
今は違いますよね。自分のやりたい事とは違いますが、日本のアニメとかつうじて主題歌を歌っている日本人アーティストに興味がもたれはじめているみたいです。パフィーがアメリカで連続アニメで人気番組であり、世界中の子供はパフィーの音楽を聞きたがります。パフィー好きじゃないですが、これはこれでとても良い現象です。ハイハイパフィーを見ていた子供達が大人になったら自然にJ-popを聞く様になる事でしょう。
シンガーが世界で成功する意義は世界中の誰でも解る愛を歌うからです。そして言葉で表現します。車や電気製品ではリアルな日本人、人間そのものにはスポットがあたりません。
ともかく自分はアホな程、ブラックミュージックが大好きなんです。理屈じゃなく、好きでたまらないのです。もう20年近く、そしてこれからも永遠に好きでしょう。
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講師について

茂呂直哉
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アメリカで発声、その他音楽理論、作曲、編曲、楽器等を学び、Jazzの学校も出る。
アメリカでシンガーソングライター、黒人との混合のヴォーカルグループのメンバーとして、また楽器プレイヤーとして黒人の店などのステージに立つ。また黒人教会のゴスペルクワイヤとしても活動するかたわら、インディーの黒人のレーベルで編曲などの仕事をする。
初の仕事はプロデューサー/トラックメイカーとして黒人の運営しているレーベルとディール。前座ながら武道館に出演。
帰国後レーベルなどのアーティストのトレーナーも務め、また大手のスクールでも講師を務める。
しかし現在は、より理想の教育を行う為に大手などのスクールを辞め個人教室という形でTriple M music art Classを運営。
初心者からプロまでレッスンをしている。
またネイティブ講師の英会話教室『SPEAK ENGLISH ROOM』の経営や、黒人シンガーを派遣する事務所『Soul arrangement』の経営兼ディレクター、キーボーディストとしての活動等も行っている。
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